法政大学大原社会問題研究所 オイサー・オルグ  OISR.ORG 総合案内

文字の大きさ

  • 標準
  • 拡大

背景色を変える

  • 白
  • 黒
  • 青
ホーム   >   公開活動   >   企画展示   >   高野房太郎と労働組合の誕生   >   9 初期労働運動に対する弾圧

9 初期労働運動に対する弾圧

 鉄工組合は、最盛期には5000人余の組合員を組織し、病気や怪我をしたときに給付金を出す共済活動に力を入れました。また、演説会や共働店(生協)運動に力を入れ、東京、横浜、横須賀、大宮など関東を中心に、東北、北海道にも組織を拡大しました。
 しかし、警察は運動を圧迫し、屋外集会を禁止したり、演説会に立ち会うなどして、弁士や聴衆を威圧しました。さらに1900(明治33)年3月に公布された「治安警察法」は、事実上、労働組合運動を禁止するものとなりました。さらに日本鉄道大宮工場は、鉄工組合の組合員を圧迫して辞職に追い込むなど、経営者側の抑圧も露骨になり、鉄工組合は数年で衰えてしまいました。

更新日:2014年12月25日

ページトップへ