7 片山潜と『労働世界』
鉄工組合が発足した1897(明治30)年12月1日、労働組合期成会の機関紙『労働世界』が創刊されました。同紙の編集長は片山潜です。
『労働世界』英文欄
『労働世界』は、毎号最終頁を英文欄とし、日本の労働問題に関する情報や『労働世界』の主張を海外に向けて発信した。また、これと交換に外国の機関紙誌を入手し、情報を得ていました。この慣行は『平民新聞』など明治期の社会主義機関紙にも引き継がれました。
第8号(左)第10号(右)
第8号 1898(明治31)年3月15日付、第10号 同年4月15日付
鉄工組合創立の当日、労働組合期成会機関紙『労働世界』が創刊されました。タブロイド判10頁で1部2銭、毎月2回、1日と15日に発行され、1901(明治34)年12月第100号まで刊行さています。編集長は片山潜。
片山は、高野とほぼ同じ頃、アメリカで11年間も苦学して帰国したばかりで、当時は神田三崎町で「キリスト教社会事業の本営」キングスレー館を経営していました。
キングスレー館から歩いて10分ほどの場所に、小銃などをつくっていた東京砲兵工廠があり、そこの労働者が鉄工組合における最大勢力でした。日本最初の労働者生活協同組合を組織したのも、砲兵工廠の労働者で、1898(明治31)年のことです。ですから、来年は日本において生活協同組合運動が本格的に始まって100周年になります。
ちなみに、現在、東京砲兵工廠の跡は、東京ドームや後楽園遊園地になっています。
キングスレー館
高野房太郎とともに労働組合期成会幹事などとして運動の中心となった片山潜の居宅でもある。
1898年10月からは『労働世界』の発行所・労働新聞社もここに置かれた。神田区三崎町3丁目1番地12所在。日本大学の前身である日本法律学校の北隣にあった。現在は日本大学法学部本館の一部にとりこまれている。
更新日:2014年12月25日