4 日本共産党
■4 日本共産党
1945年10月、獄中幹部の釈放を機に活動を再開した共産党は、党活動の最重要な課題として労働組合の結成に取り組んだ。のちに関東労協をへて産別会議に結集する単産の多くは、共産党のオルグ活動により結成されたものであった(法政大学大原社会問題研究所編『証言 産別会議の誕生』1996年)。
共産党は当初、教宣活動を兼ねて、労働組合部編で『労働組合の作り方』(1945年)、『労働組合法早わかり』(1946年)など多数のパンフレットを発行している。だが、なぜか労働組合関係のパンフレットは『メーデーの話』(3403)、『工場新聞の作り方』(3406、3408)しか残っていない。
『日本共産党は何を要求するか』(第1集、3401)と『婦人の皆さんへ』(3402)は、出版部が「人民解放叢書」として発行したものである。後者は最終の第8集で、ほかに『天皇制について』(第2集)、『憲法について』(第3集)なども出ているが、これらは含まれていない。なお、共産党は占領期に各部ごとじつに多くのパンフレットを発行している。これらについては、共産党の党史資料室でも系統的に収集されていない。前述したが当研究所では現在、戦後期のパンフレットについて整理中であり、これら欠号分の所蔵については遠からず明らかになろう。
『日本の産業と農業の将来』(3404)、『農業協同組合早わかり』(3410)、『漁業の復興と漁民の生活』(3417)など、農・漁業関係のものは比較的に多い。なかでも『農業綱領解説』(3414)は、共産党における農業革命と農業政策の内容が示されていて資料的にも貴重である。
共産党の教宣活動は、対日政策が転換したのち政府やGHQに対する政策批判という形で展開された。『占領下の日本管理はどのように行なわれるか』(3416)は、GHQの統治機構と政策を図解して暗にポツダム宣言の理念を逸脱しているとこれを批判し、『人民生活の安定と民族の独立のために』(3417)は、1949年4月、第5国会における吉田茂首相の施政方針を批判した徳田球一書記長の質問演説などを収めている。『重要産業国営人民管理早わかり』(3412)と『共産党が政権を握ったら』(3434)は、民主人民政権のもとにおける政策構想をまとめたものである。
『デッチあげられた平事件』(3422)、『黒い手の検事――三鷹容疑者の陳述書』(3423)など、宣伝教育部が企画・編集した「大衆パンフ」は30冊を超すシリーズとなっている。これらは「10円パンフ」と呼ばれ、廉価だったこともあって売れ、かつ裁判闘争の機運を高めるのに寄与したと思われる。とくに松川事件を扱った『真実は必ず勝つ』(3427)は、弁護団長の岡林辰雄がまとめたもので、事件の真相を明快に明らかにしている。このほか松川事件に関しては、松川対策協をはじめ各団体が多数、パンフレットを発行している。これら松川事件パンフについては、当研究所(小沢三千雄執筆)編『松川裁判と松川運動に関する資料目録』(1971年)を参照されたい。
『日本共産党三十周年に際して』(3430)と、「国民シリーズ」第4集の『日本共産党の歩いた道』(3432)は、1951年10月に採択した新綱領(3429、3430)の視点でまとめられた党史であり、前者は、徳田書記長が亡命中の中国で発行されたものである。(吉田健二)