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全自動車解散[労]1954.12.1

全自動車解散[労]1954.12.1

   1953年日産争議に敗北すると,この争議への融資の返還問題から,全自動車の日産分会と他のトヨタ・いすず両分会との間で意見対立が生じた.右派が指導部を握ったトヨタ・いすゞ両分会は,日産分会の除名,全自動車解体へと突き進んだ.その結果,総評で最強の単産といわれた全自動車も事態収拾困難に陥り,’54年12月,自ら解散するに至った.〔参〕熊谷徳一・嵯峨一郎《日産争議・1953年》1983.⇒1953[労]8.11,1955[労]1.23.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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