細川護熙(もりひろ)連立内閣[政]1993.8.9
細川護熙(もりひろ)連立内閣[政]1993.8.9
総選挙で自民党は過半数を獲得できず,野党7党1会派による連立政権が誕生した.連立に参加したのは,新党さきがけと新生党,社会・公明・日本新・民社・社民連,それに参院の民主改革連合である.首相には日本新党の細川護煕代表が選ばれ,社会山花,公明石田,民社大内ら,旧野党各党の党首が揃って入閣した.細川政権は,政治改革を掲げて小選挙区比例代表並立制を導入し,コメ部分自由化を認めるなど,自民党政権が積み残してきた課題を実行した.当初,国民の高い支持をえていたが,94年2月の〈国民福祉税〉構想の発表以降,支持率は低下した.さらに首相自身の佐川急便からの献金疑惑により国会運営は難航し,予算審議は大幅に遅れた.結局,94年4月8日,細川首相は,予算成立促進と自身の新たな献金問題を理由に辞意を表明した.〔参〕朝日新聞政治部《政界再編》1993.同《連立政権回り舞台》1994.⇒1994[政]6.30.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。