タイ血の5月事件[国]1992.5.17
タイ血の5月事件[国]1992.5.17
民政移管に向けた3月総選挙では,国軍系の統一正義党が第1党になった.国軍支持の5党は軍の最高実力者スチンダ司令官を首相に指名,4月7日に就任した.しかし,チャムロン・パランタム党党首をはじめとする民主化勢力は民選議員の首相を要求し,スチンダ退陣を要求するデモを繰り返した.この日,王宮前で開催された集会に軍が発砲,流血の事態に発展,政府側発表でも,事件の死者46人,負傷者677人に達した.5月21日,プミポン国王はスチンダ首相とチャムロン党首に和解を勧告し,事態は平静に向かった.流血事件の責任を問われたスチンダ首相は,5月24日に辞任した.〔参〕世界週報1992年6月30日号.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。