ソ連崩壊[国]1991.12.25
ソ連崩壊[国]1991.12.25
1986年にゴルバチョフソ連共産党書記長が打ち出したペレストロイカ路線の進展につれ,ソ連内の各共和国は民族主義的傾向を強め,89年のアゼルバイジャンをはじめ,90年には15共和国すべてが主権を宣言,独立志向を強めた.ゴルバチョフ大統領は,連邦解体を回避するため,共和国権限を広く認めた新連邦条約の成立をはかった.しかし,保守派のクーデター失敗後の91年9月に始まった連邦の人民代議員大会では,ロシア共和国などの主導で国家機構が大幅に改編された.9月6日,新設の国家評議会はバルト3国の独立を承認,10月にはKGBの解体,連邦省庁の解体・縮小も進んだ.12月8日,スラブ系3共和国は独立国家共同体の創設とソ連邦の消滅を宣言し,同月21日,内戦中のグルジアを除く10共和国が共同体参加条約に調印した.12月25日,ゴルバチョフ大統領は,共同体の将来に疑義を呈しつつ辞任を声明し,69年間続いたソ連邦は崩壊した.〔参〕下斗米伸夫《独立国家共同体への道》1992.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。