自民党・新自由国民連合[政]1983.12.26
自民党・新自由国民連合[政]1983.12.26
12月の第37回総選挙で新自クは解散時の10議席から8議席に後退したが,自民党も250議席の過半数割れに終わった.新自クの田川代表や河野代表らは当初河本擁立の自民党分裂工作を図ったが,結局失敗,同時に進められていた山口幹事長と田中六助自民党政調会長の連立構想が急浮上した.このため特別国会召集日の12月26日朝,中曽根自民党総裁と田川新自ク代表が会談して,〈政治倫理の確立〉など4項目の政策協定を結ぶとともに国会内統一会派〈自民党・新自由国民連合〉を結成することで合意し,中曽根内閣には田川代表が自治相で入閣した.この連立で新内閣は〈逆転委員会〉が1つだけで済む安定多数与党の内閣となったが,同時に1955年の保守合同以来の自民党単独政権は28年ぶりに崩れることになった.結局,’86年8月,新自由クラブは解党し,党員の多くは自民党に入党した.〔参〕鈴木恒夫《実録 連合政権310日》1985.⇒1976[政]6.13.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。