鈴木善幸内閣[政]1980.7.17
鈴木善幸内閣[政]1980.7.17
6月の選挙運動中,急死した大平首相のあとをうけて同じ宏池会(大平派)の鈴木善幸が自民党総裁に選出され,7月17日,鈴木内閣が誕生した.鈴木首相は,当初〈ゼンコーWHO?〉といわれてその力量を疑問視されたが,〈和の政治〉をスローガンに党内融和をはかりつつ,第2臨調を設置して〈政治生命〉をかけて行財政改革にとりくんだ.首相は,心情的には〈ハト派〉志向が強かったものの,自民党安定多数を背景とした党内強硬派の突き上げのなかで,レーガン軍拡路線への同調や〈ゼロシーリング〉の下での軍事費突出,二階堂幹事長実現による灰色高官の復権など次々と妥協を重ね,教科書問題を契機とした東南アジア諸国の反発と財政再建の行きづまりのなかで,’82年10月12日,突如退陣声明を出して,政権を投げ出す結果となった.〔参〕宇治敏彦《鈴木政権・863日》1983.⇒1982[政]11.27.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。