40日抗争[政]1979.11.2
40日抗争[政]1979.11.2
10月7日の総選挙での敗北は,自民党に大きな衝撃を与え,直ちに大平首相の責任追及の動きが始まった.これに対して,10月9日,首相は引き続き政権担当の決意を表明し,福田・中曽根・三木3派中心の非主流派の退陣要求に対して,田中派の支持を背景に〈辞めろということは私に死ねということだ〉と強く抵抗した.以後,第2次大平内閣成立の11月9日までの40日間,激しい政争が続いた.結局,自民党は事実上の分裂状態に陥り,11月6日の首相指名投票では,非主流派の〈自民党をよくする会〉が推す福田と主流派の大平という同一政党から2人の首相候補が立候補する前代未聞の事態となり,新自クと福田派の園田外相の支持を得た大平が決戦投票で首相に指名された.〔参〕伊藤昌哉《自民党戦国史》1982.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。