大平正芳内閣[政]1978.12.6
大平正芳内閣[政]1978.12.6
大平政権は〈信頼と合意〉をスローガンに12月7日発足し,総裁選挙で訴えてきた〈総合安保政策の推進〉〈地方分権の政治〉〈日本型福祉社会の建設〉などにとりくんだ.〈部分連合論〉による予算案審議,統一地方選での勝利,ダグラス・グラマン事件の乗りきり,東京サミットの主宰など,大平政権の前半は〈保守復調〉の波にのって比較的順調に推移した.ところが後半は,一般消費税導入による財政再建を掲げてたたかった1979年10月の総選挙で大敗し,その後の〈40日抗争〉,翌80年5月16日の内閣不信任案成立,6月の衆参同日選挙という激しい政争の荒波にもまれ続けることになり,ついに大平首相は,選挙投票日10日前の6月12日,心筋梗塞で死去した.〔参〕《大平正芳回想録》1982.川内一誠《大平政権・554日》1982.⇒1980[政]7.17.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。