総評槇枝・富塚新体制[労]1976.7.19
総評槇枝・富塚新体制[労]1976.7.19
1976年7月の総評第53回定期大会で選出され,’83年7月の第69回定期大会での改選に至るまで7年間続いた槇枝元文議長(日教組)・富塚三夫事務局長(国労)を中心とした総評指導部をいう.’75,’76年春闘連敗の指導責任を問う声が全交運などから出たため,市川議長,大木事務局長は再出馬を断念した.後任の人選にあたって,議長に民間労組で適任者を見出しがたいため,初の〈官・官〉コンビとなった.就任後,総評内主流,反主流の対立の深まりのなかで,労戦統一問題,春闘をはじめ困難な課題に直面した.また,’79年秋以降,総評の〈社公中軸〉路線への転換をもリードし,組織内外に大きな波紋をおこした.〔参〕富塚三夫《富さん奮闘記――総評事務局長オルグ日誌》1979.⇒1970[労]8.9,1983[労]7.25.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。