三木武夫内閣[政]1974.12.9
三木武夫内閣[政]1974.12.9
三木内閣は,〈クリーン・三木〉の看板を掲げて発足した.三木首相は,総裁選への党員予備選挙導入,企業献金を規制する政治資金規正法の改正,選挙公営拡大のための公職選挙法改正,独占企業への規制を強める独占禁止法改正などの諸改革にとりくもうとしたが,三木派の力は弱く,党内の反対でつぶされたり,骨抜きにあったりして諸改革の実はあがらず,〈スト権〉についてもはじめは容認に傾いたが結局否認に転じた.また,三木首相は党内右派に妥協して,首相としての初の靖国神社参拝や日米軍事協力の強化,天皇訪米の実現など政権維持に努めたが,〈田中逮捕〉以後,挙党体制確立協議会(挙党協)を中心とする〈三木おろし〉が強まり,’76年12月の総選挙で敗北したのを機に総辞職した.〔参〕中村慶一郎《三木政権・747日》1982.⇒1972[政]7.7,1976[政]12.24.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。