〈むつ〉放射線漏れ事故[文]1974.8.26
〈むつ〉放射線漏れ事故[文]1974.8.26
1974年9月1日,〈むつ〉の原子炉の出力上昇試験中,尻屋崎東方800㎞の洋上で,予想の数千倍の放射線漏れが発見された.原因は中性子遮へいの設計ミスによるものであった.政府は試験中止・改造の方針を決定したが,帰港の同意が得られず,10月15日まで51日間洋上漂流物となった.大湊を再母港としない条件で合意,帰港した.その後佐世保港で改造,再び大湊港に係留され’88年青森県関根浜に回航された.その後’91年に洋上試験・実験航海を行い,’93年に廃船.〔参〕中村亮嗣《ぼくの町に原子力船がきた》1977.⇒1977[社]4.1.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。