水俣病訴訟判決[政]1973.3.20
水俣病訴訟判決[政]1973.3.20
水俣病第1次訴訟(原告112人)について熊本地裁は原告全面勝訴の判決を言渡し,水俣病をひきおこしたチッソの責任を明確に認め,損害賠償額についても請求どおり,各1600~1800万円の支払いを認めた.この判決は,チッソが控訴を断念したため確定し,チッソは原告だけでなく認定患者すべての救済を内容とする協定書に調印した.さらに,1979年3月28日,水俣病第2次訴訟についても熊本地裁は原告14人のうち,認定棄却された11人及び未申請患者1人,計12人を水俣病患者と認めた.国,熊本県も被告とする水俣病第3次訴訟については,’87年と’93年に熊本地裁や京都地裁で一審判決が出されたが,控訴のため係属中である.〔参〕法律時報45巻6号.⇒1969[社]6.14,1973[社]7.6.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。