71春闘[労]1971.4.17
71春闘[労]1971.4.17
前年後半からの不況下に,大衆闘争路線と官民総がかり方式を採用し長期化した春闘.この年,全逓で宝樹委員長,海員で南波佐間会長が退陣を余儀なくされ,〈宝樹・南波佐間ショック〉として組合幹部に衝撃を与えた.4月6~15日を第2のうねりとし,15~20日に官民ともストを集中し第3のヤマ場を設定した.17日には全交運の統一ストが行われた.21日の鉄鋼回答は前年と同額であった.この後,4月下旬に民間,公労協のストが相ついだ.5月中旬から下旬にも電機,私鉄,食品など例年になく長期化し,ストをもって闘われた.結果は労働省調べで,民間9727円,16.9%と額で前年を上回り,率では下回った.〔参〕高木郁朗〈春闘論〉1976.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。