総評市川・大木体制[労]1970.8.9
総評市川・大木体制[労]1970.8.9
1970年から’76年まで続いた市川誠議長(全駐労)と大木正吾事務局長(全電通)を中心とする総評指導部体制.’70年6月,総評幹事会の決定により国連とUAW共催の国際公害会議に出席のため渡米した堀井議長が〈70年安保闘争放棄〉と反主流派から問題視されたので予定を早めて帰国し,私鉄総連と総評に辞意表明.幹事会決定の責任をとって岩井事務局長も15年ぶりに辞任したので,総評史上初めて議長・事務局長同時交代となった.〔参〕《総評30年資料集・下》1986.⇒1966[労]7.31,1976[労]7.19.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。