社会党勝間田・山本体制[政]1967.8.5
社会党勝間田・山本体制[政]1967.8.5
1967年8月5日,佐々木更三社会党委員長は成田知巳書記長とともに辞任した.健康保険法の改正についての与野党合意を代議士会で否認されたためだった.後任には佐々木主流派が勝間田清一をかつぎ,勝間田の属する旧和田派も含めて反主流派は江田三郎を推したが,’67年8月19~20日の党大会での役員改選のどたん場で旧和田派が勝間田擁立に転じ,勝間田委員長・山本幸一書記長体制が決まった.〔参〕月刊社会党編集部《日本社会党の30年》1975.⇒1965[政]5.6,1968[政]9.11.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。