朝日訴訟事件判決[政]1967.5.24
朝日訴訟事件判決[政]1967.5.24
2審判決に対して上告後まもなく朝日茂は死去し(1964年2月14日),養子の健二・君子夫妻が遺志をついで争ったが,最高裁大法廷は9対4の多数で保護を受ける権利の一身専属性を理由に本件訴訟は上告人死亡で終了したとした.さらに多数意見は傍論で本案についても,憲法25条は国の責務を規定したにすぎぬとして,厚生大臣に広範な自由裁量権を認めて2審判決を支持するとした.〔参〕《朝日訴訟運動史》1971.⇒1966[社]9.26.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。