日韓条約粉砕国民統一行動[社]1965.11.9
日韓条約粉砕国民統一行動[社]1965.11.9
日韓闘争の進め方をめぐって社会党と総評は,総評をあいだにして社・共両党を結びつけるいわゆる〈ブリッジ〉方式で共闘を拡大していくことで合意した.その後,全国・中央両実行委は数次にわたる連絡会議で11月9日の統一行動を決定.同日,全国41都道府県329ヵ所で延べ60万人が集会・デモに参加した.とくに中央集会は従来の時差集会を,両実行委共催集会に発展させたもので,’63年の安保反対国民会議の第12次統一行動以来の社・共両党系の共同行動となった.以後,12月8日まで5次にわたる共闘が組まれた.〔参〕《日本労働年鑑》37集.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。