新潟水俣病[文]1965.6.12
新潟水俣病[文]1965.6.12
植木幸明新潟大学教授らは,阿賀野川流域住民の間に,熊本水俣病によく似た有機水銀中毒患者が発生していると発表した.その原因は,1936年から’65年までアセトアルデヒドの製造を行っていた昭和電工鹿瀬工場が,メチル水銀化合物を多量に含んだ廃液を阿賀野川に放出し続けたためとみられ,’67年4月18日には,厚生省特別研究班も昭和電工の工場廃水が原因と認めた.認定患者約700人.未認定患者は1千数百人にのぼる.〔参〕〈公害裁判〉法律時報43巻9号.⇒1965[社]8.25.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。