失対事業打切り反対闘争[労]1963.2.1
失対事業打切り反対闘争[労]1963.2.1
1960年の安保闘争後,失対事業打切りの動きが顕著となり,’62年5月,労働省はその廃止をめざして制度検討に着手した.5月以来1年余にわたる反対闘争は総評・全日自労による失対打切り反対共闘会議,社・共両党,その他の団体との連絡会議によってすすめられ,〈日韓会談〉反対統一行動とともに組織された.全日自労は独自に炭労・全鉱と三者共闘を組織し,’63年2月までに357万人の署名をあつめ,5月末から7月にかけて連日の国会闘争を組織した.法案は自民党の強行採決により成立したが,法施行後,全日自労は求職闘争と本人が希望する仕事のあっせんなど〈5つの権利要求〉の実現闘争にとりくんだ.〔参〕《全日自労の歴史》1977.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。