ベルリンの壁[国]1961.8.13
ベルリンの壁[国]1961.8.13
第2次世界大戦後に米英仏ソの4国共同占領下におかれたベルリンは,東西両ドイツ国家の成立とともに実質的に東西に分裂したが,依然として交通は自由で東側から西側への大量の労働力流出は社会主義化を進める東ドイツにとって重大な問題であった.1961年8月13日,東独政府はソ連政府の提案を受けて東西ベルリン境界線で交通を遮断し,8月22日から壁を建設し始めた.東西間の緊張は一挙に高まったが,軍事的衝突は回避され,この事件を契機に東西ドイツの平和的共存が模索されることになった.〔参〕日本国際問題研究所編《ドイツ・ベルリン問題の研究》1963.⇒1989[国]11.9.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。