三池争議ホッパー決戦[労]1960.7.17
三池争議ホッパー決戦[労]1960.7.17
すでに第2組合員はピケを突破して入坑,生産を再開していたため,三池労組側はピケをホッパー(貯炭槽)占拠に集中する戦術を採用した.ホッパーは採掘した石炭を鉱外へ搬出する拠点であるため,ここの占拠は生産阻止を意味する.組合側はホッパー周辺にピケ小屋を林立させ,一時期2万のピケ隊が1万の警官隊と対峙した.〈ホッパー〉は三池争議のシンボルとなった.〔参〕三池炭鉱労組編《みいけ20年》1967.⇒1960[労]8.10,1960[経]9.1.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。