安保6・15事件[社]1960.6.15
安保6・15事件[社]1960.6.15
この日,国労を中心に6月4日につづき,2回目の安保反対ストが行われた.夕刊がこの日の平穏な統一行動を伝えたあと,午後5時すぎから16日未明にかけて暴行流血事件が複合して起こった.まず右翼が安保批判の会のデモを襲い,警官隊はこれを放任して助けた.つづいて全学連主流派が2度国会構内に突入した.警官隊の学生排除は〈襲撃〉とよぶ以外にないほどのすさまじさであり,混乱のなか,東大生樺美智子が死亡した.警官隊は,16日午前1時すぎにも学生を襲い,さらに大学教授団にもその暴力を拡大した.政府は午前0時すぎから緊急臨時閣議を開き,警察の措置は学生の暴挙に対し当然との声明を発表した.国民会議ほかが一斉に警察の暴力糾弾声明を発表.とくに共産党は全学連主流派幹部をも批判した.全学連主流派幹部と右翼田中清玄との結託は1963年2月26日になってTBSラジオで明るみにでた.〈6・15〉事件はアイク訪日中止の決定的要因となった.主要新聞7社は異例の共同宣言で事態の収拾を訴えた.しかし,東大はじめ多くの大学における全学的抗議など,新聞批判をも含めてさらに強い〈6・15〉に対する抗議行動が展開された.〔参〕斎藤一郎《安保闘争史》1962.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。