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三池争議の始まり[経]1959.8.28

三池争議の始まり[経]1959.8.28

   〈総資本対総労働の対決〉と称された大労働争議.争点は職場活動家の解雇問題とエネルギー革命下の企業再建問題.1959年8月28日,三井鉱山は人員整理を柱とする第2次合理化案を発表し,全山で4580人の希望退職者募集を提案した.しかし,会社側は三池労組の職場活動家300人を〈生産阻害者〉と呼び,人員整理はたんに量のみならず質の問題でもあるとした.団交決裂後,中労委がのりだし組合側にやや有利な斡旋案(第1次)を提示するが不調に終わり,会社側は指名解雇発令(12月11日)へとつきすすむ.この間,三池労組では製作所支部が脱退するなど組織内に混乱が生まれ争議の行方に暗い影をおとしていた.〔参〕三池労組編《みいけ20年》1967.⇒1959[労]12.8.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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