水俣病患者家庭互助会[社]1958.8.15
水俣病患者家庭互助会[社]1958.8.15
水俣病罹災者互助会は,〈水俣病患者家庭互助会〉と名称を変更したあと,直ちにチッソと交渉し,翌’59年12月〈見舞金契約〉を締結した.’68年9月水俣病を公害病と認める政府見解が出され,互助会は補償を要求.チッソはこれを拒否.互助会は厚生省に斡旋を依頼,斡旋をめぐり互助会は2派に分裂した.分裂した一方は’69年6月チッソに総額6億余円の損害賠償を求めて提訴した.〔参〕木宮高彦《公害概論》1974.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。