岸信介内閣[政]1957.2.25
岸信介内閣[政]1957.2.25
石橋内閣誕生の際に強引に副総理格の外相となっていた岸は,石橋首相の病気引退で自動的に政権を引き継いだ.1958年5月の総選挙を経た第2次岸内閣の発足以降,岸内閣の面目が発揮される.国防会議による防衛力整備計画の決定,憲法調査会の発足,安保改定交渉の開始,警職法改正案の提起,’60年安保の強行採決,等々である.同時に2度の東南アジア訪問で?介石,ゴー・ジン・ジェム等と会い,他方,中国との関係では長崎国旗事件の原因を作っている.フィリピン,インドネシアとの賠償問題やグラマン機種決定問題で黒い噂を発生させた.その反面,商工官僚出身者としての岸は,国民所得倍増計画や福祉政策を展開する一面も見せた.〔参〕後藤基夫ほか《戦後保守政治の軌跡》1982.大嶽秀夫〈戦後保守体制の対立軸〉(中央公論1983年4月号).⇒1960[政]7.19.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。