コミンフォルム解散[国]1956.4.17
コミンフォルム解散[国]1956.4.17
ソ連邦共産党第20回大会で社会主義への平和的移行が認められスターリン批判が行われたことにより,コミンフォルムは存在意義を失った.フルシチョフは,党名を共産主義者同盟と改め自主管理の道を歩みはじめたユーゴの党にも接近をはじめた.4月17日,特別の会議も開かず,《プラウダ》と東欧諸国党機関紙に突然解散が発表された.解散声明は,コミンテルン解散時と同じく各国共産党の自主的成熟を論拠としていたが,国際共産主義運動をソ連中心に一元的に組織することが時代錯誤となったことを示すものであった.〔参〕A.グェルラ《コミンフォルム時代》1981.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。