三菱日本重工下丸子争議[労]1956.1.6
三菱日本重工下丸子争議[労]1956.1.6
〈数量景気〉のもとで解雇が急減した1956年に,駐留軍と特需工場では米軍事予算減に伴う人員整理があった.三菱日本重工(従業員1万余,企業連=中立)では特需契約ゼロとなり,下丸子工場(単組=新産別全機金,組合員2100)の事業縮小のため前年11月に横浜造船所(単組=全造船)など全事業所から希望退職626人が募集されたが応募450人にとどまり,1月6日,428人の一時帰休を通告後,1月12日下丸子工場290人指名解雇が通告された.賛成6割余でスト権を確立した三菱重工労連は1月25日の全事業所17時間ストに続き2月17日まで重点部分ストを行ったが,解雇者再雇用に努力などの条件で2月27日に妥結.〔参〕《資料労働運動史・昭和31年》.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。