共産党第6回全国協議会(6全協)[政]1955.7.27
共産党第6回全国協議会(6全協)[政]1955.7.27
1950年分裂の時期にあらわれた極左冒険主義とセクト主義の方針を公然と批判し,共産党の分裂を克服するうえでの転換点となった.党生活を支配していたそれまでの家父長制的個人的指導をあらため,党内民主主義と集団指導を確立するうえでも転換点となった.また分裂していた双方の側をふくむ新しい中央委員会を選出し,’50年以来の共産党の分裂状態を一応解決し,統一的活動の道を開いた.この6全協は,共産党が講和条約下の新条件にふさわしい公然活動に転換するうえでの必要な一段階となった.しかし’51年綱領が前提とされ,戦略目標は不明確であり,招集の手続きにも党規約上の疑点があるなどの問題点を残していた.〔参〕《日本共産党の50年》1972.⇒1958[政]7.21.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。