森永ヒ素ミルク中毒事件[文]1955.6.下
森永ヒ素ミルク中毒事件[文]1955.6.下
6月下旬から8月にかけ西日本で乳児の奇病が多発した.原因は森永乳業徳島工場製造の粉ミルクに砒素が含まれていたためであることが,岡山大医学部の調査で判明,8月24日公表された.患者総数1万数千人,死者113人という一大食品公害事件であった.事件は,死者各25万円,患者各1万円の補償でいったん決着させられた.しかし,1969年10月23日,丸山博阪大教授の学会報告を機に,後遺症に対する補償要求運動が再燃した.〔参〕田中昌人ほか《森永ヒ素ミルク中毒事件》1973.⇒1973[社]4.10.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。