北富士演習地返還期成同盟[社]1955.3.27
北富士演習地返還期成同盟[社]1955.3.27
占領軍に接収された北富士演習場では,数年来,補償や拡張問題などで紛糾を続けていた.1955年3月の日米合同委員会で山梨県提出の植林計画が抑えられ,米軍の演習場拡張の意図が表面化した.社共両党が演習場拡大反対を表明.各労農団体もこれに応じた.3月27日富士吉田市で,北富士演習地返還期成同盟結成大会が天野県知事,山麓市町村らの参加をえて開催された.5月には米軍の実弾射撃演習に反対して約2千人の座りこみがなされる.米軍側は福島調達庁長官を通じて調停案を提示.県知事の斡旋案を地元が受諾したが,その後もオネスト・ジョンの持込みなどで激しい紛争が続いた.〔参〕《北富士演習場問題の概要》1971.安藤登志子《北富士の女たち》1982.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。