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日産争議[労]1953.8.11

日産争議[労]1953.8.11

   100日間にわたって争われた日産自動車の労働争議.1953年6月,会社が全自動車日産分会(組合長益田哲夫)の賃上げ要求を拒否し,組合活動の制限と課長の非組合員化を主張したことに端を発する.会社の意図は,日産分会の〈職場闘争〉を解体し,職場における〈経営権〉を回復することにあった.不就業時間の賃金カット,団交拒否,ロックアウト,組合幹部の懲戒免職等と,会社は矢継ぎ早に攻撃を拡大した.日産分会は部分スト・時限ストで対抗したが,警察の介入と第2組合の結成で争議は収束にむかい,9月組合側の全面敗北をもって終結した.〔参〕益田哲夫《明日の人たち》1954.熊谷徳一・嵯峨一郎《日産争議・1953年》1983.⇒1954[労]12.1.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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