電産争議[労]1952.9.24
電産争議[労]1952.9.24
基準賃金と労働協約の改訂をめぐる電産労組の闘争は,1952年4月の要求提出から12月の中労委斡旋案の受諾まで8ヵ月にわたって闘われ,炭労とともに’52年秋期闘争を牽引した.この間,組合は16波に及ぶ電源スト・停電ストを実施したが,経営側の壁は厚く,要求をかなり下回る基準賃金および改訂労働協約を内容とした斡旋案の受諾を余儀なくされた.しかも,争議中,中部地本静岡分会を嚆矢として組織分裂が広がり,他方では政府によるスト規制法の成立をみるなど,この長期争議によって電産にもたらされた結果は深刻であった.’53年1月,電産は〈電産モンロー主義〉と自らを規定してこの闘争を自己批判した.この争議の結果が,電産崩壊,電労連発足の契機となった.〔参〕《資料労働運動史・昭和27年》.⇒1953[政]8.5,1954[労]5.26.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。