自由日本放送[文]1952.5.1
自由日本放送[文]1952.5.1
コミンフォルム批判を契機として起こった日本共産党内の混乱に際して,徳田球一など幹部の一部が中国に潜行して設けた〈北京機関〉は,中国共産党の援助で1952年5月1日に日本語放送を開始した.北京市内に放送施設を置き,当初は短波で夜1回,後に中波を併用して朝1回,夜4回,ニュースや音楽等を日本国内に向けて宣伝放送した.’55年12月31日に放送を停止.〔参〕藤井冠次《伊藤律と北京・徳田機関》1986.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。