全自動車賃金闘争[労]1952.3.29
全自動車賃金闘争[労]1952.3.29
1952年春,全自動車として破防法反対闘争に取り組むなかで,日産,トヨタ,いすゞの3社共闘が3月10日,19日を期し手取り2000円引き上げを要求することを決定,他の労組もこれにならい賃金闘争に入った.その結果,いすゞは4月8日,トヨタは4月22日要求どおりに妥結し,他の労組も平均11%強の賃上げを獲得した.しかし,日産の場合,会社の賃上げ拒否の姿勢がかつてなく強固であり,組合はストライキ・怠業を繰り返したが,4月28日一時金手取り1万2000円で妥結せざるをえなかった.日産において,会社側は不就業時間の賃金不払いを主張,その決着は翌年に持ち越された.〔参〕《資料労働運動史・昭和27年》.⇒1953[労]7.17.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。