レッドパージ[経]1950.7.24,[政]1950.9.1
レッドパージ[経]1950.7.24,[政]1950.9.1
冷戦の激化のなかで,占領政策の一環として強行された,公職や一般企業から共産党員とその同調者を排除する措置.朝鮮戦争勃発直後の1950年7月24日,GHQは新聞協会代表に共産党員と同調者の追放を勧告し,7月28日新聞・放送で民間初のレッドパージが行われ,新聞,放送各社から700人が解雇された.さらに,公務員のレッドパージにつづいて,一般企業もGHQの圧力や政府の指導によるほか,企業自身の労働対策の面からもこれに同調し,10月以降1万人以上のパージを行った.また,’49年に成立した定員法にもとづく公務員の行政整理や,一般企業の合理化のなかにも,レッドパージに該当すると思われる人員が数多く含まれていたから,’50年から’51年にかけてのレッドパージの範囲は大きく,労働運動の沈滞と労働組合の質的転換の一因となった.〔参〕電産九州不当解雇反対同盟《切られたばってん》1980.塩田庄兵衛《レッドパージ》1984.中央労働時報1951.7.20.⇒1950[社]9.1,1950[経]11.2.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。