日立争議[労]1950.5.10
日立争議[労]1950.5.10
日立製作所13事業所・3万2千従業員のうち12事業所・2万3千人を組織する産別会議・全金属の日立総連合が1950年4月5日賃上げ要求を提出したのに対して,会社側が5月8日全面拒否するとともに従業員5555人の整理を通告した.全金属は日立支援に全組織をあげて6・3統一行動をおこなうことをきめたが,総司令部が5・30事件を口実に東京で集会デモを禁止し,6月16日から全国に拡大した.このため,6月3日に東京・日比谷公園で予定した産業危機突破大会はじめ集会・デモが禁止され,争議中の幹部や組合員の検挙があいついだ.希望退職者が増加し,各工場での単独妥結が続いて,8月10日組合側の完敗で産別系最後の大争議は終わった.〔参〕労働省《資料労働運動史・昭和25年》.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。