第21回メーデー[労]1950.5.1
第21回メーデー[労]1950.5.1
4月3日のメーデー準備会で,民同派は特定団体の実行委員会参加に反対して退場し,国会共闘参加組合だけでのメーデーを主張した.産別など46団体は統一メーデー促進委員会を結成し,メーデーは分裂かと思われたが,日教組の仲介で統一メーデー実行委員会が成立した.〈人民広場〉での中央メーデーには,〈平和と独立を闘いとれ〉〈全面講和の促進〉のスローガンのもと,戦後それまで最高の60万人が参加した.〔参〕絲屋寿雄《メーデーの話》1975.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。