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下山・三鷹事件[政]1949.7.5,7.15

下山・三鷹事件[政]1949.7.5,7.15

   行政機関定員法による国鉄従業員の第1次首切り3万700人が発表された1949年7月4日の翌5日,下山定則国鉄総裁が行方不明になり,その夜半すぎ,常磐線綾瀬駅付近の鉄道線路上でバラバラの轢死体となって発見された.自殺説と他殺説とが乱れとんだが,不明のまま時効が成立した.第1次首切りにつづけて7月12日,第2次首切り6万3千人が発表された.そして15日夜,中央線三鷹駅構内で無人電車が暴走して死傷者を出した.容疑者として逮捕された12人のうち11人が共産党員であったが,裁判の結果すべて無罪となり,ただひとりの非党員被告竹内景助に死刑が宣告された.竹内は無実を訴えつづけながら1967年1月獄中で病死した.下山・三鷹事件のショックで国鉄労組は首切り反対闘争に立ち上がることができなかった.〔参〕《資料・下山事件》1969.小松良郎《三鷹事件》1967.⇒1955[政]6.22.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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