総同盟の全労連脱退[労]1948.6.28
総同盟の全労連脱退[労]1948.6.28
2・1ストの挫折は,労働運動の政治闘争化への批判を表面化させるきっかけとなった.1948年1月の中央委員会で組合民主化運動の全国的展開を決議していた総同盟は,同年6月,〈全労連は完全に共産党の道具と化し,もはや連絡協議機関としての機能を失った〉と全労連からの脱退を声明.そのあと,炭労,私鉄総連,全鉱,全日通,国労,日教組などの脱退がつづき,全労連は’50年8月の解散命令の前に組織勢力を5分の2以下に激減させた.〔参〕中村菊男《戦後民主的労働運動史》1964.⇒1948[労]1.13.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。