公職追放解除[政]1948.5.22
公職追放解除[政]1948.5.22
1948年5月から7月までに公職資格訴願審査会の再審査の結果として楢橋渡ら129人が解除された.その後占領政策の転換とともに解除の範囲がひろがり,’49年2月8日の政令で特免申請による解除の道が開かれ,いったん廃止された訴願審査委員会が復活し,’50年10月には一般人1万400人,旧軍人3250人,’51年8月には第2次として鳩山一郎ら一般人6975人,旧軍人6929人が解除され,〈逆コース〉の政治動向を促進する一要因となった.講和条約調印後さらに解除がひろがり,’52年4月28日講和発効とともに残りの追放者も自動的に解除された.この間,公職追放令は,戦後の左翼活動に適用されるようになり,〈レッド・パージ〉を生みだした.〔参〕自治大学校・今枝信雄編《戦後自治史VI・公職追放》1964.ベアワルド《指導者追放》1969.⇒1947[政]1.4.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。