東宝争議[労]1948.4.16
東宝争議[労]1948.4.16
東宝映画会社は赤字と赤旗の〈2つの赤〉を追放するとして,日映演東宝分会連合会と対立し第1撮影所その他から次つぎに914人を解雇,84人を契約解除し争議になった.会社は第一撮影所への立入り禁止の仮処分を申請,争議団も組合員の業務妨害排除の仮処分を申請し,争議は長期化した.各事業所に争議脱落者が生じたが,さらに東宝撮影所従組が発足,これら分裂組が東宝労組連合会を結成して会社と業務再開の協定を成立させた.8月19日の大弾圧ののち,争議団の不利はおおうべくもなく,都労委の勧告で団交を再開したが,組合幹部は自発的に辞職する一方,会社は約170人を再雇用することで妥結した.〔参〕宮森繁〈東宝争議について〉(労働運動史研究54号,1972).東京大学社会科学研究所《東宝争議1948年資料》1986.⇒1948[労]8.19
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。