チェコスロヴァキア,2月事件[国]1948.2.25
チェコスロヴァキア,2月事件[国]1948.2.25
1946年7月に成立した第1次ゴトヴァルト内閣は,共産党・社会民主党・保守3党・無党派からなる連立内閣であり,混合経済の下での経済再建政策を進めていた.’47年,マーシャル=プランの受諾をめぐって閣内対立は激化し,国有化の拡大と第2次土地改革に関する政策対立と相まって翌’48年2月には政府危機に発展した.内相(共産党)の警察人事問題を理由に,国民社会党・人民党・スロヴァキア民主党の12閣僚は2月20日に辞表を提出,労働者の内閣支持運動を背景にベネシュ大統領は2月25日に12閣僚の辞表を受理し,同日第2次ゴットワルト内閣が成立した.事件後,人民民主主義体制が確立するが,しだいにソヴェト型の社会経済システムが採用され始める.〔参〕斎藤稔〈東欧社会主義の転換点―チェコスロヴァキア,1948〉(経済志林48巻3号).
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。