ヤミ取締り[文]1946.8.1
ヤミ取締り[文]1946.8.1
敗戦後の極端な物資不足と配給統制の下,焼跡の青空市場(闇市)では度重なる警察の取締りにもかかわらず食糧・日用品・繊維品などあらゆる物資が売買されていた.インフレで闇価格はいっそう高騰したが,庶民の生活は闇なしでは成り立たず,特に1946年春以降の主食の遅・欠配期には闇市に依拠するところ大であった.当局は,一種の解放区の様相を呈していた闇市の取締りを強化,5月30日に600人の武装警官で奇襲,7月には白昼出動した武装警官と台湾省民との衝突事件が発生するに至った.内務省は7月28日全国に闇市の閉鎖と明るい市場への転換を通達し,8月1日実施した.これにより闇市はマーケット化の方向をたどるが,闇に対する禁令の効果は薄かった.〔参〕東京焼け跡ヤミ市を記録する会・猪野健治編《東京闇市興亡史》1978.朝日新聞1946.5.31,8.1,8.8.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。