正田製作所争議[労]1946.7.17
正田製作所争議[労]1946.7.17
総同盟関東金属傘下の数少ない生産管理争議.1946年7月,鍋,釜など生産の正田製作所(400人)で工場閉鎖・全員解雇が宣言され,組合は7月23日より生産管理に突入.都労委斡旋により工場閉鎖・全員解雇撤回等,組合勝利下で終結(第1次).翌年,経営はアメリカ人ドレイヤーに移譲され6月24日,執行委員全員解雇・工場閉鎖を通告,組合は翌日,再び生管闘争に突入し都労委に提訴した.都労委は9月6日,新会社設立,労働委員介入の下での労働協約の新会社と組合との協議等を提案し,第2次争議も組合側勝利,ドレイヤーは後に国外退去,所長は労組法11条違反で有罪判決となった.〔参〕《全国金属30年史》1977.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。