読売第2次争議[労]1946.6.12
読売第2次争議[労]1946.6.12
1946年6月5日,GHQ新聞課長がプレスコード違反により読売新聞社内の責任者の処分を要求したことから〈編集権〉をめぐる争議が発生する.第1次争議のあと,社長のばってきした鈴木東民が組合長であるとともに編集局長に就任していた.読売社内→吉田首相→GHQの線でブラックリストが提出され,鈴木東民ら編集首脳の馘首がなされた.6月21日,馘首幹部の強行入社に対し警官隊が出動し,53人が検束された.7月2日,新聞放送単一は東京地労委に申立て.7月12~16日工場ストライキに入るが,組合分裂.共同闘争と争議は長期化し,10月16日妥結に至った.結局,6人依願退社,31人自発退職となった.〔参〕山本潔《読売争議》1978.⇒1945[労]10.23.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。