吉田茂内閣(第1次)[政]1946.5.22
吉田茂内閣(第1次)[政]1946.5.22
政権工作委員会としての四党共同委員会によって,実質的に成立した鳩山自由党内閣は,鳩山の公職追放によって瓦解した.鳩山追放を,社会党は占領軍の民主化政策と受けとめたが,自由党は,民主人民戦線運動の高揚に対する弾圧と受け取った.社会党は,自由党内閣を組閣できない以上,社会党内閣を組閣すべきとしたが,自由党は,社会党政権が多少とも〈民主戦線内閣〉の性格を持つ限り,これに協力できないとした.この結果,自由党は四党共同委員会から脱落した.鳩山一郎のあと,自由党の総裁は吉田茂に決定.奏薦権者としての進歩党総裁である幣原首相の政局収拾権は復権し,自由党と進歩党の連携が成立.保守連立政権としての第1次吉田内閣が出現した.ただし,組閣工作は難航し,吉田は一時,組閣打切りを決意した.〔参〕刊行会編《吉田内閣》1954.⇒1947[政]6.1.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。