持株整理委員会[経]1946.4.20
持株整理委員会[経]1946.4.20
この持株整理委員会の発足により,GHQによる財閥解体の実際の作業が開始された.財閥解体は,持株会社の解体・財閥家族の企業支配の排除・株式所有の分散の3つの柱から成り立っていた.持株会社の解体と株式所有の分散に関しては,1951年7月の委員会解散直後の数字で,株式1億5515万株,70億2674万円,公社債その他4797万円を委員会が譲り受け,処分した.しかし,銀行は持株会社解体計画から完全に除外されており,後の独占体の復活に銀行が重要な役割を演じることになる.〔参〕柴垣和夫〈財閥解体と集中排除〉(東京大学社会科学研究所編《戦後改革・7》1974).⇒1945[経]11.4.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。